2013年12月5日木曜日

「JY」沼津の悲劇 渡辺利明

「JY」沼津の悲劇 渡辺利明
 先月二十五日の衆院決算委員会で、地方都市再生策について論戦が交わされていた。政府委員はコンパクトシティの実現を通じて斜陽化した地方都市の再生を図りたい、と国の方針を説明していた。これは郊外に拡散した諸施設を市街地に再集結して、人々の回帰を通じて市街地再興を図ろうとする「まちづくり三法」の目指す方向である。
 戦後、沼津に限らず各地方都市は、駅周辺などの商店街を交流させることにより地域経済の発展を支えてきた。我が沼津も戦災後の駅前にヤミイチ(闇市)が起こり、やがてアーケード名店街が完成し西武百貨店も進出、全国有数の商都に発展した。
 しかし、自動車時代の到来、近隣市町の興隆、郊外型店舗が増加する時代となった。また、病院、諸機関が郊外へ移転してしまったことも大きい。これらのことから旧市街の求心力は急速に弱まり、各地の地方都市中心部の斜陽化が進んだ。
 このような事態を立て直そうと、国は一九九八年、いわゆる「まちつくり三法」を制定し、衰退する中心市街地の活性化を進めることになった。これは郊外へ拡散した諸施設を改めて街中に戻し、中心市街地を活性化しようとするもので、いわゆる「コンパクトシティ」の実現を目指すものだ。
時代の流れは明らかに、この方向にある。
 このような中で、本市では東椎路への大型商業施設誘致問題が表面化した。地権者達は老齢化も進み農業後継者もなく、当然、農地の地代稼ぎを考えるのだろうが、郊外への商業施設誘致は現在の日本が目指すまちづくりの方向性とは全く異なるものだ。
 コンパクトシティを目指す方向に水を差すものと言わざるを得ない。土地の有効活用は別の観点で考えるべきものだ。この商業施設計画に沼津市は乗り気のようだが、「JY」=時代が読めない=全くの時代錯誤の施設と言わざるを得ない。米国には「ウォルマート現象」という言葉がある。ウォルマートは世界一の小売業で、世界各地に進出。低価格(エブリデイロープライス)を武器に米国の小売業界を席巻している。
 同社が進出してくると、その地域の既存スーパー、小売店は多くが閉店に追い込まれ、そして、周辺は廃墟になっていく。スーパー業界に身を置いていた頃、米国視察で、このようなショッピングセンターをいくつも見てきた。
 日本総研の藻谷浩介氏が指摘するように、日本は既にオーバーストア状況にある。人口減少時代を迎え消費が増えない中で、各企業が一定のパイを奪い合っている状況が続く。東椎路に大型商業施設が出来、そこに一定の売り上げが集まり、雇用が生まれたとしても、その周辺地域のスーパー、小売店が閉店に追い込まれるだけで、地域全体の需要が増加するわけではない。
 また、三菱地所が経営する御殿場アウトレットを見ても、進出した外部資本が儲けているだけで、駅周辺の商店街ではスーパー、小売店の閉鎖が加速し、御殿場市内への恩恵は全くない。
 先頃、商店街連盟に加わる各商店街の代表が、この問題について危機感を抱き、栗原裕康市長と面談したようだが、長年、沼津の発展を支えてきた商業者の死活問題として深刻に検討すべきだ。
 ただ、東椎路への大型商業施設出店問題として反対を唱えるのであれば、多くの市民の賛同を得るのは難しいかも知れない。
 しかし、沼津駅南北交通問題の解決など、これからの沼津の抜本的まちづくりに向けた建設的な議論を重ね、商店街としての自助努力を進めるならば、多くの支援を得られよう。沼津の街をなんとかしたいという声は、市内に満ち満ちているのだから。
 バブル期に構想され、一歩も進められない鉄道高架事業にしがみつき、今また大きな流れに逆らう東椎路の大型商業施設誘致に踏み出そうとしている「JY沼津」=時代が読めない沼津=は、沼津市民にとって大きな悲劇と言わざるを得ない。(下石田)
《沼朝平成25年12月5日(木)投稿記事》

0 件のコメント:

コメントを投稿