中心市街地活性化と郊外開発
両立は可能か、藻谷ゼミで考える
中心市街地の活性化について商業者、市民の目線から考えようという藻谷ゼミがアーケード名店街のSIDAM事務所で三回にわたって開かれ、日本総研調査部主席研究員の藻谷浩介氏が講師を務めた。昨年に続くゼミで、今回は郊外への大型店出店が計画されている折、これまで行政などが進めてきた中心市街地活性化(中活)のための道筋はどうなるのか、コンパクトシティ形成との整合性はあるのか、藻谷氏の解説、他都市の事例紹介などとともに、参加者からの質問に藻谷氏が答え、あるいは参加者が意見発表しながら、沼津があるべき、まちづくりの方向を探った。
国が目指すコンパクトシティ
都心回帰への支援拡大へ
第1回ゼミ主に藻谷氏が他都市の例に触れながら、また数字も挙げて解説する形で進められた。
藻谷氏は、はじめに「大型店を造ったらこうなる、造らなかったらこうなるというデータがある」としながら、なぜ中活が必要か、なぜ国が進めているのかに言及。
地方都市は高齢化が進み、都市政策は大きな転機を迎えている。このため、鉄道の駅を中心に半径一㌔の中に人と都市機能を集める。
財政難の時代、人が集まっている所に重点的に投資しようというのが国の考えで、現在の中心市街地活性化法(中活法)では、全国どこの都市もうまくいっていないため、これを、さらに強化し、病院や商業施設の中心部への誘導をしやすくしようと、固定資産税の優遇など抜本的な見直しを行い、コンパクトシティ実現への支援策を拡充する方針でいる。
これについて藻谷氏は「国主導で全国に広げる手段に転換するもので、国も本腰を入れてやる気だ」と指摘。それに対して商業施設を増やしていったら、どうなるのか。「コップに入れた湯は熱いが、こぼして広がった瞬間、一気に冷めてしまう」
店を増やしても売り上げは減る。売り場を薄く広げた分、地域の活力は落ちる。市全体の雇用も減っていく。それは国の商業統計、雇用統計が示す数字に表れている。
では、なぜコンパクトシティは進まないのか。参加者に問い掛けると、「金も時間もかかる」「(やろうとしても)意見が割れる」「どこ(の都市)でも同じようなものになってしまい(金太郎あめ)、おもしろくない」といった声が上がった。
これに対して藻谷氏は、どんなものがあれば金太郎あめにならないか、それぞれの都市が持つ象徴的なものの必要性を指摘した。
かつて沼津にも城があったが、完全になくなってしまった。熊本市のように、城を残して市街地が発展し、鉄道の駅は市街地から離れている都市もあるが、沼津のように鉄道の駅が市街地にあって機能している都市は珍しいという。
そして、沼津にとってのシンボリック(象徴的)なものとして狩野川を挙げた。「まちのど真ん中を、街並みのすぐ横を大きな川が流れている所なんて全国にはない」
さらに、全国二十万規模の都市で沼津は、どの程度のレベルか、藻谷氏は「全国平均よりましだが、現状に手を打たないので平均に向けて下降中」だとし、中京圏の三十五万都市、北海道東部の中心的な二十万都市の衰退の様子をスクリーンに映しながら、「このまま放置すれば沼津の十年後の姿」だと指摘。
「その地域のやる気のなさ、意識の低さがそうさせてしまう」とし、北関東のある都市の例を挙げ、大型店一つの出店を契機に既存の商業施設が閉鎖されていった状況を説明した。その一方で山口県周南市や長野県飯田市における、まちづくり会社の取り組みを紹介。特に、飯田市の場合は、コンパクトシティなどという考え方のない時代、税理士や建築士が中心となって「まちづくりカンパニー(まちカン)」を立ち上げた。行政の支援はなかったが、裏で応援してくれる市の有力幹部がいて、定年退職を迎える前には後進を育てていた。
まちカンはゼネコンを入れることなく、設計から全てを自分達でやり、市街地の再開発に成功。そのほかにもミニ開発や空きビルの再開発を手掛け、藻谷氏によれば、「国は飯田を見てコンパクトシティを言い出した」のだという。
各地で都心づくりに努力
民間主導でまちづくり会社
藻谷氏は講義の後、参加者に発言を求めた。
「郊外にショッピングモールなどが出来ると、消費者にとっては便利になる。そうした消費者行動と中活を一緒に考えることはできないか」との質問に対して、藻谷氏は「(大型施設の建設によって)沼津と清水町を合わせて売り場面積は増えたが、売り上げは減り、雇用も減った。全国的に商業施設を造る動きが止まった。イオンなど、以前は全国に出店を続けたが、少し前までとは動きが違う。沼津への出店が言われている大型店は、既存の大型店から客を取れると算段している。『後出しジャンケン』だ。誰かが便利になっても誰かが不便になる。郊外型店によって市街地がだめになるだけでなく、郊外も市街地と同じになる。都市が衰えているところに、都市の実力以上に店を出すと、その実力以上に店を減らすことになる」と応じた。
さらに、「郊外に大型施設を造るということは、基盤整備が必要となり、それだけ税金を投入することになる。下水道整備には多額の費用を要するが、補助金がほとんど。だから、国は郊外に施設を造りたくない。郊外に施設を造るなら、これだけ税金がかかるということを納税者に開示しなければならない。大型施設が、ただで出来るわけではなく、事業者側がどのくらい負担し、行政が幾ら出すのか、これをはっきりさせなければならない」との考えを示した。
第2回ゼミ前回ゼミでも紹介された山口県周南市のまちづくり会社「まちあい徳山」(周南市は徳山市を中心に市町合併で二〇〇三年に誕生した)や、神奈川県小田原市の合同会社「まち元気小田原」、石川県金沢市の「金沢商業活性化センター」について説明。
前二者は民間によるもので、いずれも土地の有力者の二代目が代表を務め、まちあい徳山は三十代、四十代が中心になって運営している。金沢は行政によるものだが、十数年の歴史があり、やはり若手が実働部隊となって動いているという。
このことから藻谷氏は、まちづくりには若い世代の働きが必要であることを指摘。「いなければ人材を育てる」ことを求めた。
また、飯田市のまちカンは、市街地のごく一部しか再開発していないが、「市が関わると(公平性の見地から)全般的に見なければならない」(藻谷氏)のに対して、民間がやることによって集中的に投資ができた。
解説の後、参加者から意見や質問を募ると、前回同様、「郊外に大型店が出来る話を聴いてうれしかった。障害のある人にとっては、身近に便利な施設が出来ることはありがたい。中心市街地の活性化と郊外開発の両方ができないか」といった意見があった。
藻谷氏は「障害のある人が町の中で、ごく普通に暮らせることが大切」だとして、千葉県佐倉市で高齢者のグループホームと学童保育施設が一緒に運営されている事例を挙げ、「市街地でも可能」だと指摘。
これに加えて、同ゼミ主催者側代表が市街地活性化と郊外開発の両立に関して、「法律的にはできるかもしれないが、財政を考えると無理。中心部(の基盤整備)は民間投資、行政投資共に既に終わっているが、郊外開発に必要となる行政コストを考えると福祉に回すことができなくなる。投資の仕方を間違えると弱者にしわ寄せがくる」として、中心部への投資と郊外開発への投資で費用の違いを数値で示した。
また、中心市街地活性化について検討、研究する組織として「中心市街地活性化協議会」があり、中心的な役割として「タウンマネージャー」がいるが、藻谷氏は「タウンマネージャーは、それにどっぷり浸かった人でなければ務まらない」として、専門的に担当する人材の必要性を説いた。
「中心市街地の活性化には賛成だが、どうしたらいいか、となると分からない」という意見には、「東海大学が駅の裏にでもあれば若い人が集まったのだが」とし、この点については前回ゼミで「三島には先見の明がある。駅のすぐ北側に大学が出来、高校もある。教授達も(東京などから)通って来られる」と指摘していた。
藻谷案として「空いている場所に、かつて(中心部から)出て行ったものを一つずつ戻す。市役所機能や、思いもかけないものに『広場を戻す』というのがある」として新潟県長岡市の例を紹介。
同市は市役所を長岡駅前に造り、「シティホールプラザァオーレ長岡」と名付けた。駅とは歩道橋でつながり、議場はガラス張り。施設中央にイベント広場があり、奥にはアリーナ。幼稚園児らの遠足の場所ともなり、人が集まるようになった。
藻谷氏は「行政がやる気にならなければできることではない」と語った。
第3回ゼミこの回では、まず中心市街地活性化基本計画について市の担当者が解説。同計画では「定住人口」「交流人口」の確保を目指し、九十二の主要な取り組みを掲げたことなどを説明した後、参加者からの質問や意見を受け付け、それに対して藻谷氏がコメントやアドバイス。
最初に発言した男性は文化と歴史の視点から、まちづくりを考えることが大切だと主張。次の男性は「中心市街地が、どんどんつまらなくなっている。人口を増やそうという政策が目に見えてこない。イベントで一時的な人集めはしているが、人口を集めていくだけの魅力がない。教育、医療など他と違うものが無ければ人は集まって来ない」と手厳しい。
藻谷氏は「計画は、市が実践するものとして策定された。しかし、数値目標や期待はあっても実践のための手段、実行方法がない。『(にぎわう)沼津港と連携』と言っても、誰が、どうするかがない」と課題を指摘する一方、沼津の中心部には全人口の十人に一人が住んでいることに対して、「全国平均では五十人に一人だということからすれば驚き」だとして沼津の潜在的な力を示唆。
「計画が機能するには実行部隊がいなければ実現できない。現状認識だけでは前に進まない。かつて沼津は、そんなに大きなまちではなかったが、住民が頑張って大きくなってきた」などとして、行政にも市民にも前向きな姿勢を求めた。
《沼朝平成25年10月20日(日)号》
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