沼津の認識 佐藤賢治(東熊堂)
沼津駅前の西武百貨店は昭和三十二年六月、「沼津で東京のお買い物」のキャッチコピーで開店し、全国西武百貨店の最古参級だった五十五年の歴史に幕を閉じたのが今年一月三十一日。
全国ブランドの百貨店として、もうこれ以上の施設は沼津にはできないと思われる本館は取り壊される。新館は浜松のパチンコ店が入り、今年度中に改装するとのこと。報道では地下から二階までがパチンコ店になるとか。
コンパクトシティの名の下に全国の都市は駅(都市の核になるもの)を中心に、郊外に移り住んだ住民を集め、学校、病院、商店、職場、公共施設を配置し、徒歩、自転車で用を足せ、一極集中、効率的な都市機能による運営を目指している。
瀞岡県が主催している沼津高架PIプロジェクトの勉強会でも、沼津駅周辺の構成要案、問題点、改善点、将来構想等々、多角的に、住民目線での勉強会を開いているが、地元の行政当局である沼津市の参加がない。
県が参加を促し、PI委員からは「市の方針が分からない」と苦言を呈されても、市長も職員も完全に無視している。
栗原裕康市長は市長に初当選直後、鉄道高架事業に対して、県が主体であり県の方針に従う、と表明していたのに、二期目になり、百人以上いる地権者、市民との対話、説明をせず、強制収用をしない県に責任がある、と市が主体であるような発言をしている。
そんな沼津市で、時代の流れに逆行するような東椎路の市立病院東側一画への大型商業施殴進出の計画。一極集中を目指した高密度都市、高次都市空間、住環境の改善、行政サービスの効率化と都市間競争が始まっているのに今さら、郊外に大型商業施設の構想とは。
人口が増え続け、商業施設が不足、都市中心地では対応できない状態といった、商圏拡大への対、応に困っている沼津の姿は、西武百貨店の撤退で夢物語となった。
各地で見られる駅前シャッター通りは沼津も同じ。人口がピークだった平成七年の二一六、四七〇人から平成二十五年八月一日には、一九六、三七五万人と二万人減。平成四十七年には一五六、○○○人台。年少人口(○~一四歳)は平成十七年の一三・六%から二十二年の一二・六%、四十七年には九・一%に。
一方で、老年人口(六十五歳以上)は平成十七年の二〇・八%から二十二年に二四・五%、四十七年には三六・五%。確実に人口が減り、老齢化人口が増える見込み。
東椎路への大規模商業施設建設は時代に逆行し、認識のなさを示すものだが、市当局は大型店の出展に歓迎の立場。市民も大型店が出来れば便利で良いかもしれないが、町全体の商業構成には、ゆがみが生じる。
人口が減り、若者が減り、消費が減り、縮小社会に向かう中での郊外への大型商業施設は、沼津駅周辺の商店街をはじめ、商店街の縮小に拍車がかかる。
その最大の被害者はイシバシプラザ・イトーヨーカドーではないだろうか。一九七八(昭和五十三)年七月十三日に開店し、今年で三十五年。駐車場一、二三五台、売場面積二二、五五五平方㍍。
西武百貨店撤退後、沼津を代表する大型店だが、一方では人口減、収入源、商圏多様化で、撤退の噂が絶えない。
セブン&アイ・ホールディングスのグループ一員の西武撤退後、イトーヨーカドーが担うはずの商圏に、郊外への新規大規模商店計画。黒字、赤字の価値判断が全ての企業にしてみれば、撤退・閉店は当然のこと、従業員の解雇、市民生活、跡地問題は企業にしてみれば関係ない。それより、同じグループ会社のセブン・イレブンを一つでも多く出店したほうが利益が上がる。
沼津はこれから先、震災対策人口減少・生産人口減、老年人口増、税収減、鉄道高架の成否、道路対策、新ゴミ焼却場や新体育館の建設と課題が山積。東椎路まで含めた広域なコンパクトシティと考えるのか。沼津の認識が問われている。
《沼朝平成25年10月3日(木)号投稿記事》
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